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光線療法について

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光線療法の歴史

紀元前の昔から「日光療法」として太陽光線は健康回復の基本として活用されてきました。西洋医学の祖と言われるヒポクラテスが最初に建立した病院は「日光に当たりやすい施設」でした。そして、18世紀になると世界中の医師が日光の治療特性を科学的に知るようになります。さらに1870年ごろには直射日光や色別の治療でもめざましい躍進を遂げます。

そして1983年、デンマーク生まれのニールズ・フィンゼンNiesls Finsenは光線療法の光源として、世界で初めて太陽光線と同じスペクトル光線を強力に放射するカーボンアーク灯(フィンゼン灯)を創案し、当時の不治の病として恐れられていた皮膚結核の治療に効果を上げ、1903年ノーベル医学生理学賞を受賞しました。

日本で人工光源を初めて医療に応用したのは、東大皮膚科、土肥慶造博士。 彼はフィンゼン・ライン灯(フィンゼン灯を小型に改良したカーボンアーク灯)を持ち帰り、皮膚科の治療に使い、全国の皮膚科で使われるようになりました。 しかし、1928年に世界初の抗生物質ペニシリンが登場すると、医療の世界は一変し、薬物療法の時代が始まり、光線療法は医療現場から消えていきました。

光線療法の歴史
カーボンアーク灯

カーボンアーク灯

おそらくカーボン型の光線器が今に至るまで継承されている国は日本だけのようです。 医療機関で消えたカーボン型光線器は民間によって絶えることなく続いています。

戦後の原爆症患者に対して、原爆病院では改善効果を上げることはできませんでしたが、唯一カーボン型光線器だけは改善効果を上げることが出来たのです。

民間での数々の事例

もともと光線療法はほとんどの時代で主流の療法のひとつであったわけですが、何千年にもわたって活用されてきたことからもわかる通り、その効果は確かなものです。

ドイツの医者の言葉に「太陽の当たらない所に医者が来る」ということわざがあります。 今現在においても民間の一部の人達が光線療法の恩恵を受け、難治な症状を克服している事例も多くみられるのです。

民間での数々の事例
進化と変化にある光線療法

進化と変化にある光線療法

光線療法も従来の手法では効果が上がりにくくなっています。以前にくらべ同じ症状でも回復に時間がかかるのです。その理由は断定できませんが、現代人の生活様式が大きく関係しているとみられます。血液が汚れている可能性です。 今は大量のお菓子、暴飲暴食、基本的な食事以外のおいしい食を味わうことが出来ます。 また日本では圧倒的な量の農薬、添加物が使われています。遺伝子組み換え食品にも寛容な国です。さらにストレスを生みやすい社会とも言われています。 こうしたことからくる石油化学品の大量吸収による血液の汚れ、血流の鈍化、などでは現代人は他の時代にないほどの問題をかかえています。

従来、血液の汚れは太陽光線という輻射熱(ふくしゃねつ)による汗で掃除できたのですが、今の時代は日光を避けるために、掃除がうまくできていない人がほとんどと言って良いでしょう。このため光線療法はその分照射量を増やす手法に替わりつつあります。 一台での照射でも可能ですが、血液の汚れに対しては輻射熱で汗をかく必要があり、光線療法による大掃除が不可欠になっています。

このため、長時間照射のため60分自動式光線器(フォトピー光線器)が登場ました。 またサンフォートピア療法という手法も生まれました。これはベッドカバーに覆われた中で4~7台の光線器を使って体に照射し、汗をかきつつ光線の恩恵を受ける手法です。数々の事例がみられる中でこのサンフォートピア療法を使ったものが最近は多いのです。

自然の心地よさが実感できる光線療法

サンフォートピア療法で全身照射をされた方はその気持ちの良さを実感します。
光線療法は怖くも不安にもならずにただひたすら気持ちよく当たり続ける療法なのです。

自然の心地よさが実感できる光線療法